[コメントに答えますコーナー]
突然ではありますが、いただいたコメントをここで消化させていただきます。
まずは12月19日分のさくしんッ。
2003-12-19

# Jark 『悪書を読まなければいけない状況というのはそれほどの難点ではないと思います。
良書・悪書を見極めるのは本のクオリティや書籍や自分のレベルに適しているかどうかという
問題もありますが「読解力」の問題も大きいでしょう。これは良書悪書を問わず読書量が左右
したりしますので』
そうなんですよね。“読書量”はホントに大きい。
以前、モーリさんと話していたときに、やっぱりその類の話になりました。そのときは音楽評論の話だったのですが、やっぱり蓄積の差は大きいです。読むだけなら誰でもできるんですけど、“理解すること”や“行間を読むこと”、そしてそこからどこに歩を進めればよいのかや他の全然かけ離れた地点とを結びつけることができるソウゾウ(創造/想像)力を培うのって、量次第という気がします。最終的に量は質に転換されると思っているので。そういう意味で、結果的に“悪書”も読まざるを得ないと思っています。
# Jark 『アタシにとって最大の難点は「かさばる」ということです。それとハードカバーは
電車で読んでると重くて手がしびれるヽ(;´Д`)ノ』
あはははは。
それはねー、ヨコハマから帰ってくるときにも言われたんですよ。最近は特に乗り換えが頻繁にあるから、なかなかハードカバーの本を読むような状態じゃないって。
昔は乗り物に乗ってる時間が長くて、眉村卓の短編小説だったら1冊読めちゃったけど、今はそれが細切れになって携帯でショートメール打つ程度の時間しかない、というのも影響しているのではないでしょうか。
そういや、会社と自宅の往復80分時代に、結構、長くて頭を使う本を読んでましたね。
まあ、手がしびれるのは歳ということで(笑)。
# ladysmoker 『こちらでははじめまして。確かに私も大江健三郎が嫌いで全部読みましたね』
『そういう点では「読み嫌い」はしますが。ただ、大事な本は持ち歩けないです(壊れるし』
なるほど。個人的にはボロボロになればなるほど、頭に入ってるような気がしてました。気のせいだったということは、今、よーく実感してます(笑)。
# Jark 『外で泥だらけになって遊びながらも本は読んでましたから娯楽が少なかったからと
いう理由では無いと思います。公園も好きだったけど図書館も好きだったヽ(´ー`)ノ
それをチョイスしたかどうかということなんでしょうね』
それは、先述した「時間のつぶし方」というところに収斂してゆくのですが、書籍を読み込んでゆくための時間って、今という時代は作りにくいんじゃないかと。書籍の楽しみ方は、それこそ無駄で茫漠とした時間がないとリアルに体感できないんじゃないですかねえ。むしろ“ながら”ができる(あるいはマルチタスクで処理できる)ような娯楽じゃないと、今はダメとか。そんなことはないのかなあ。
# Jark 『教科書的な読書の仕方をするとそういう感覚は無いかもしれません。「読んだこと
で学習した気になってしまう」というのは非常に危険なことですね。アタシみたいに新聞を読
む時も疑いながら読むスタイルも結構危険ではありますが(げら)』
「学習した気になってしまう」というのは一番危険ですよねえ。でも、「学習した気になってたんだあ」という気がつけばいいんじゃないかなあ、なんて我と我が身を振り返ったりして。
# Jark 『ああ、アジア特有の著作権感覚の欠落ってのはもしかしたらこの辺の「想像力を養
う学習」というのが無いことに根ざしてるのかなあ。発見する喜びを感じられないからコンテ
ンツの提供者に対して感謝の気持ちが無いんだわ』
それって文化的に貧しい感じがしますね。でもまあ、ちょっと暴言ですけど、想像力があっても著作権感覚って、そうそう養われるものじゃないような気がします。つか、著作権感覚ってあれはやっぱり子供のころから躾とかじゃないかなあ。そういう躾がないと、頭で理解しなければならないような気がします。
# sonodam 『いわゆる「良書」というのをいろんな周辺情報から判断して読む、ということ
を繰り返せば、悪い本を読まんで済むような気がしますけどねえ』
周辺情報は必要です(まーちがいない)。でも、周辺情報だけで“良書”を判断できるものなのかなあ、というのが大いなる疑問なんですよ。それはたしかに『暗号の秘密とウソ』(ISBN:4881359967)は何らかの形でPCに関わっている人なら読んでいてしかるべき書籍だとは思うのですが、内容が理解できなければ、それは“良書”足りえないと思うのです。ものすさまじい例をあげると、分数がわからないヒトにはE=mc^2のスゴサとか美しさはわからんと思うのですよね(わたしなんか“これが美しいんだよ”と言われると「へぇ」とか納得しちゃうんですが)。
まあ、なんども読むことである日突然理解することもあるんですけどね。今の読者はそれをしてくれるかなあ*1
# wakatono 『そのための情報収集のためにネットワーク上のリソースを使うのは、個人的
にはいいかなとか思ったりします』
wellcomeです。agreeです。で、実はそれを誰がやるかなんですよね。出版社がその辺の、いわゆる“情報操作”が下手なのは良くわかっているのですが、立場的に非常に難しい側面もあるんです。
 # sen-u 『ボクは納豆が嫌いですが、検証すべく100種類以上の食べ方を試しました!
で、嫌いだ』
うはは。100種以上食べれば、きっと血液はさーらさらに違いない。

*1:このへん、すごーい悲観的なわたし