[コメントに答えますコーナー]
さすがに3回目になると、いろいろ思うところがございますですな(笑)。
とくに、今日(ホントは昨日)はちょっとぐったりするようなネタが大挙して押し寄せてきたりして。クリスマスだというのにねえ。いやはやなんとも。
もちろんよいことも、それはまあ、あるわけで、たとえばこの日記(なんだかどうなんだか、もはや判然としませんが)への愛ある突っ込みなんか、この上なくうれしかったりするわけで。
実際、こういう形でこのネタが続くとは思ってませんでした。さまざまなサイトでこのネタがいろいろな方向に蔓を伸ばしているのを見たり読んだりすると、なんというか、単純にうれしいです。本当にどうもありがとう。
で、えーと、今回は12月24日分をぶっ飛ばしてゆきます。
12月24日


# ladysmoker 『読みたいものがなくなってくると適当な書評本や書評コーナーのお勧めを
読んでみて、書評者そのものの質を見るという事を20年位前によくしていましたな』
『けれどこれだけは読んでおけという本は絶版になっているものが多すぎるんですよ、ホント』
『そして本というのは読むべき時期というのはあると私は思います』
『10代の内に19世紀くらいに成立した所謂名作を読んでおけば「自分の読書」ができますね』
あたくしは、書評は読まないんですよねえ。あー、ちがうな。書評として読んでるわけではない、という意味で書評は読まないんですよね。そこでなにがしかの“芸”を見せてくれない限り、書評も小説もダメ印とかツマラン印を押しちゃうんです。だから個人的な読書方法としては、どれだけ文章芸でこっち側に迫ってくれるか、という一点がわりと重要なファクターになります。
で、まあ、よく言われていることだと思うんですけど、小説はこれまでの古典をライバルに世に出てくるということですよね。でも出版が出版だけにとどまらないビジネス市場(映画とかTVとか、あるいは作家のタレントとしての商品化)をもった(あるいはもたせた)ことで、古典を超えるというココロザシは(出版社も作家も、もちろん読者も)どっかに忘れてしまって、小説はすっかり販売促進のツールになってしまったような気がします。
でも、これは暴言ですが、というか運命論者っぽい言い方になるわけですが、「その書籍を読んだときが読まれるべきとき」だと思うし、いわゆる“名作”を読んだからといって自分の読書ができる、というわけでもないのではないかと思います。ヘンな話、それこそポインタ(経験値?)として蓄積されることはあっても、むしろ年齢を加えたところで読んだほうが消化しやすいのが、れですもさんのいうところの名作なんじゃないかなと思います。
PC書で言えば『プログラミング言語C』(ISBN:4320026926)なんて、名著と呼ばれて久しいですけど、ひととおりCプログラミングで痛い目にあってから読んだほうがいいような気がしています*1
ただまあ、絶版本に関してはそうなんですよね。トッパンがなくなっちゃったときは、ホント、どうしようかと思いましたし、今も“見つけたら即買い”リストにいっぱいあるし。こればっかりはなあ。
でもねえ、在庫の問題ってのは、やっぱり大きいんですよ。もう、めちゃくちゃ細かい話をしちゃうと、たとえば1冊あたりの面積で、年間ナンボという額の所場代取られているわけですから。いやもう、日本の土地は高いっす。

# sonodam 『>toto しかも胴元の取り分(給料とかとか)は減らないらしいので、これ以
上売り上げがへこんだら、胴元を食わせるためにtotoを買うことになるんですよねー。バカバ
カしーっていうかなんていうかヽ(´ー`)ノ。』
けっこうなお金を使ってCM垂れ流して、そんで収益が悪くなっても手を打たない、というのは、どーいうこっちゃねと。もっとも、手を打った途端、取捨選択することなく闇雲に突っ走るというのもどうかと思ったりはするわけですが。

# sonodam 『>コーナー化/ポータル化 書評サイトにしちゃうべきでしょうね。やっぱ。
新聞がどうして利害関係とか人間関係だけになってるかっていったら、やっぱシビアなフィー
ドバックに晒されてないからじゃないかと思いますね。要するに「お前はこの本を面白いふう
に書いていたが、読んでみたらぜんぜんおもしろくねー。金返せヴォケ」という感じ。インタ
ーネットならそれできるんじゃないですか?』
書評サイトにするべきなのかなあ。うーん。
たしかにシビアなフィードバックに晒されると、馴れ合いではすまなくなるから、そこはクリアできますね。某MLのように、Webで閲覧可能なんだけど主宰者の意にそぐわない突っ込みメールは削除した状態、なんてこともないし*2。ただなあ、そもそも「その本を理解したいのなら、この程度のことは理解しとけ」と言いたくなるような読者が、「金返せヴォケ」とか言ってくるからなあ。それはWebじゃ、やっぱり無理なんじゃないかと。そーすっと、むしろ
PC書籍コンサルタント
が最適なんじゃないかと思ったりして。
当然、かなり難易度の高い資格試験があって、それに合格した数百名(日本全国ね)が、読者の悩みを解決する書籍を、読者のレベルに合わせて選定/推薦してくれると。編集者はコンサルと付き合うことで読者状況を知って最適化された書籍をリリースするという。
でもそれやると、出版社が資格保持者の囲い込みに走るから、そういう裏工作をさせないために、資格保持者は一切個人情報を外に出さないようにしておく。ところが、部数が伸びない某編集部員は自腹で興信所を手配して資格保持者を特定し、あり得ない書籍情報を流す暴挙に出るなんて波乱がありつつ、年末には「PC書籍コンサルタントが選ぶ“輝け日本PC書籍大賞”」なんてのをMXテレビ(ホントは教育テレビが望ましいんだけど、紅白で忙しいだろうから)あたりでやるとか。
そうすると、おのずと良書の動向が見えてくるから、夏休みの課題図書もカンタンに決まるし。
おぉ、おれは天才ではないか。

# 崎山 『書評って、読まない判断をするためにも使う気もします。人文社会系の本はそうで
もないですが。最近自費で買ったコンピュータ本は、EPIC推薦の洋書とかそれの翻訳が多いで
すね。教科書っぽいのは書店で内容チェックしてから。あとは人間関係で(w』
あ。読まない判断ですか。なるほどねぇ。
ワタクシはわりと“これはつまらん”とか書いてあっても、読みたくなっちゃうんですよ。「なに、そんなに無駄な本があるのか!」という感じで。
個人的に怖いなあと思っているのは、書評を読むことでその本を読んだ気になってしまうことなんですね。PC書は読んだ気になっても地肉化してないから意味がないんですけどね(笑)。
というか、たとえば『CPUの創り方』(ISBN:4839909865)って、“萌え”というキーワードだけで語ると、どうしようもない本のような気がしますが、あれ、ちゃんと読むと非常に面白くてよい本なんですよね。で、そういうこと(キーワードだけではなく、中身について)の情報って、たしかにWebでは少ないかもしれない。考えてみれば、結局、リアル本屋に行ってるもんなあ。だから、洋書はもうXクラ撃ちですね。

# mohri 『『WDMデバイスドライバ』 キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!! (号泣)
http://www.softether.com/jp/journal/16.aspx
こーゆうことがあるから、編集者は辞められないよねえ。あたくしも、実は手前の雑誌を見つけて結構うれしかったり。でも、ネットワーク系の雑誌には負けてるなあ、さすがに(笑)。

# ladysmoker 『業界外人から見ると「内輪褒め」も透けて見えるのがあって油断大敵だっ
たりしてみたり』
いや、それは業界内人からでも、ちゃんと見えるんでかなーり恥ずかしいんですよ。でもまあ、考えようによっては、それもポインタかなとか*3

# こじま 本の雑誌は「予定通り大幅に遅れて」いたころがいちばんおもしろかったと思い
ます』
小島セソセイ、キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!
あたしはすっかり本の雑誌を読まなくなってしまったのですが、年間12冊刊行と言いながら11冊しか出なくて、デタラメ極まりないイイワケ鼎談を目黒さんと沢野さんと椎名さんがやっていたころって、ホント面白かったですよね。「特大号の次は特小号だ」とか。まあ、そういう腰砕け系もいいんですけど、なによりも“本が好きやねん”という感じが、きちんと伝わってきましたからねえ。
やぱ、“お仕事”がからむと、どうしても目が三角になったり白目がちになったりしちゃうから、つらいのかなあ。

*1:もしかしてヘタレな漏れだけ?

*2:って、どこのMLだ(笑)

*3:悪書率は高くなるのかもしれないですけど