VS.NETまんせー

青山でVS.NETまんせームービーを撮影したのだけれど、「ポジティブな悪口なら可」と言われていたにもかかわらず、それを申し述べることができなかったので、ここで開陳。
プログラミングにおいて、個人的に一番楽しい瞬間は、最適なアルゴリズムを一生懸命探したり、APIを使えるかどうか試しつつアプリケーションを組み立ててゆくプロセスだったり、そもそも手がかりが一切無い中で思い描いているアプリケーションを構築するための手段をアレコレと想像したり、わりと近いタイプのアプリケーションの挙動を追いながら引用できるところはないか、パクれるところはないかと目皿で探すときだったりする。
でも、VS.NETって、そういうところをドンドン吸収してしまって、気がつくと、なんというかCOBOLプログラミングみたいにモジュールのコピペで済んでしまったり、ウィザードに任せれば曲がりなりにも動作するアプリケーションが完成してしまったりと、醍醐味が感じられないんだよね。これはコーポレートプログラマには醍醐味など無用で、いかに短期間にプロダクトを(まさに)生成するか、を追求した結果だと思うんだけど、それはちょっといかがなものかと。
もちろん、次から次へと立ち現われてくる新しいテクノロジーや顧客からの要望にこたえようと思ったら、そらヘタすりゃ事前調査は軽くしてVS.NETを信じてガンガン作るしかないんだよー、という局面も出てくるわなあ。
で、一番気になっているのは、そういうアメリカ文化に根ざした開発手法(環境)を、ろくなコンピュータリテラシーすらない日本で展開し続けて、ホントに大丈夫なのか、ということ。
かつて某執筆者に「これからはプログラミングよりも設計の時代に入りますよ。コードをゴリゴリ書くなんてのは開発環境のシゴトで、ニンゲンは設計を担当する」とか言われて、たしかにそういう時代に突入しつつあるんだけれど、でも“設計”なんてのは、.NETを知っていればできる仕事ではないし、Javaだけ知っていたってできるわけじゃない。どちらの知識も当たり前に要求される。それどころか、ヘタすりゃCOBOLだって必要かもしれないし、C/C++だって必要。というか、プログラミング言語だけじゃなくて、HTTPだのFTPだのCOMだのといったインフラストラクチャに対する知識だって必要だ。
ところが振り返ってみると、バカみたいな話だけどプロトコルすら十二分に理解してないプログラマが平気でいたりして、すごい驚愕する。つか、一介の雑誌編集者に驚愕されるプログラマってなによ、つー話しもあるんだけど、セッション管理とかページ遷移とかわからないまま構築されているWebアプリケーションのいかに多いことか。そら、セキュリティ的にもダメダメってのもうなづけるなあ、なんて思ったり。まあ、それ以前にユーザビリティとかアベイラビリティ*1も最悪なんでズッコケまくるわけですが。
おそらく、この辺の知識って、個々のプログラマが独自に蓄えてゆくものだったと思うんだよね*2。興味があれば覗いてみようと思うだろうし、覗くためにはどうするか知恵を絞るだろうし、それが再帰的にプログラミングの醍醐味に直結するし。あるいは、先輩に「おまい、アホ。サバ。イモ」と罵られて泣きながら勉強するとか。
でも、開発環境が高度に進化したり、非常に美しくデザインされたフレームワークが生まれたことで、なーんにも考えなくてもセッションが張れちゃったり、データベースに接続できたり、タグ付きファイルを舐めて整形表示させたりすることができちゃうわけで。
そういうプログラマ上がりが描く設計なんて、そりゃ怖いやねえ。昨日会った某著者は「砂上の楼閣ですから」と嗤っていたけど。
そういう状況を作り出した元凶はVisual Studioだ、なんてことは全然思わないけど、その一部を担ってしまったことはたしかだろうなあ。そして、某雑誌もその流れを促進しちゃったことは事実だろうなあ、なんて。柄にもなく思ってみたり。

*1:これはなんて訳せばいいんだ?可用性?意味不明(笑)

*2:違ってたらごめん