安藤正臣くんのこと。

97年10月に始まったレギュラー番組でチーフディレクターを務めたが、9%台の低視聴率にあえいだ。担当プロデューサーに究極の「禁じ手」を進言した。プロデューサーには、「バカなことを」と一蹴(いっしゅう)された。だが、ひとりで興信所を訪ねた。

というのも、

レギュラー番組は任されず、年末年始の特番など「2線級」(同社幹部)の地位に甘んじていた。「番組がこけたら終わりだ。おれは主流じゃない。土俵際だ」と同僚にこぼしていた。一方で「視聴率さえ上げれば何をやってもいい。きれいごとを言わずに視聴率重視を唱える社長の姿勢には感銘を受ける」という思いがあった。

これ、切実だなあ。
もちろん、ビデオリサーチの数字しか判断を下せないシステムのあり方とか、
視聴率がいい→お客さんがいる→高額の広告(CM)が入る→売り上げが上がる→会社喜ぶ→出世街道を走れる→ウマー
というアタリマエの仕組みは、ホントにそれでいいの? という、まあすこーし突き詰めただけでもいろいろ出てくるわけだけれど、個人的に「ぉぃぉぃ」とか思うのは、興信所使って測定器が入ってる家庭を調べる暇と情熱があったら、視聴率を稼げる番組を作れよ、という点だけ。
出版だって、書店や取次ぎから上がってくる数字は、ホント死活問題だし、普通の製造業だって売り上げが上がらない限り会社を縮小するかたたむしかないわけで。
多かれ少なかれ“数字”は“暮らし”に直結するわけだけど、そのときに「本道で勝負するか裏工作で逆転するか」の選択を間違えると、面倒くさいことにしかならないんだよなあ。
いや、マジで田畑売って自分の雑誌を定点観測している書店で買い占めたい、とか思うときあるもんね。お金も田畑もないからできないけど。

数字がすべてだとは思わないけど、でも、本道を歩くことで数字を上げる努力は(臭いけど)したほうがいい。