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quartz headのライブを聴きながら、結局のところ、
本気で音を生みたい奴は音を出すし、なにかを発言したい奴は発言するし、物語を紡ぎたい奴は物語を紡ぐだろう
と、強く思った。それが創造(創作)の本質的な領域だ、と。
ニィに代表されるシステムが、現行の著作権法に則ったシステムをひっくり返すには、そういった創造物が新たなシステムに向けのコンテンツとして大量に出てこないとならないだろう。それも過去のしがらみに拘束されず、オーディエンスが積極的に支持・選択するような創造物だ。
そんなものは、クリエーターはもちろんのことPAや照明をもひっくるめた“創造の現場”と、当然オーディエンス自体の意識が変わらなければ生まれてこない。当たり前の話なんだけど、だからぼくは悲観的になる。
けれども、創造の本質がこの先も変わらなければなんとかなるかもしれない、というかすかな希望も生まれた。ファーストフードばかりでは体が満足できないように、近田春夫が愛したようなチープでキッチュな作り物ものだけじゃ心は満足できないのだから*1

*1:もちろん、ファーストフードだけで十分というユーザーの絶対数が想像以上ならもはや絶望するしかないのだけれど