本屋歴訪

気がかりな夢から目が覚めると昼過ぎで、王様のブランチなどを横目で見ながらの通常業務は、もちろん自宅。
夕方になって、久しぶりに本屋へ。山本夏彦土屋賢二、それに高木貞治を購入。内訳は以下のとおり。

山本夏彦は、もしかしたら既読のものもあるはず。記憶がサダカではないので「えいっ」と購入。土屋賢二の5冊は完全に未読。こんなに出ていたなんて。高木貞治も既読なんだけど、なぜか手元に軽装版すらないので、これも再読のため。つか900円という価格はどうなのかなあ。
なんというか、読みたくなるような新刊がほとんどないことに、いまさらながら愕然とする。既読書籍のほうがよっぽど触手が伸びるというワタクシの気持ちは、かなり問題なのではないか。中学〜高校のころは、それこそ父親の財布から札を抜き取ってまで文庫本を購入していたあの気持ちはどこに消えたのだろう。
まあ、単に活字を追いかけるよりTVを呆然と眺めていたり、blogを巡回して各種リンクをたどっているほうがよほど面白いというせいもあるのだけれど。あと、ひとり暮らしから脱却した際に、収納スペースの問題で、書籍および雑誌の類の8割を手放したということも大きいような気がする。あれはいまだにトラウマ。
ところで、単行本から文庫本へリストラクトする際に、未収録バージョンとかインタビューとか秘蔵原稿とかを突っ込み、過剰なパッケージ構成にしたら、価格をあげても、それはそれで売れたりするのだろうか。
いやー、そーゆうのは買わないなあ。そんなものを買うくらいなら古本屋を丹念に回って単行本を購入するだろうなあ。
そういう意味では、ユーザーの主体的な参加を強要する旧メディアってのは、パッケージられた情報が依然として主役であるけれど、ビジネス的にキビシくならざるを得ないのかもしれない。